映画「映画大好きポンポさん」感想 ~削ぎ落されたものと加えられたもの~

2017年4月9日、私はその漫画と出会った。

ピクシブに投稿された一本の漫画。数日前からツイッターでその漫画を絶賛するツイートが拡散されており、自分でも何と無しに読んでみたのが始まりだった。

数か月後には書籍販売&アニメ化決定。

勿論書籍は全部買った。そのいずれもが、映画に狂い、映画に魅せられた人達の熱気と今日気が織りなす物語だった。

そして、コロナによる何度かの延期を経て、2021年6月4日、ついにポンポさんの劇場アニメは公開された。

 

 

さて、実は私は映画公開前にウェブで行われた先行試写会で一足先に本編を見ていたりする。

その先行試写で見た時の感想が以下の通りだ。

 

試写会の時点では、まだオリジナルキャラのアランの情報は出ていませんでした。

そのため、最初映画冒頭のジーンがバスの中で水たまりの中に飛びこむナタリーを見るシーン、ナタリーとすれ違うアランがいるのですが、その時は画面端にやたら目立つモブがいるなあ、と思ってました。

そして、飛行機の中で喋りだし、ジーンくんとトイレですれ違った時に、「あ、こいつオリキャラか!!??」となった次第だったりします。

そして中盤、ポンポさんが撮りたかったシーンのくだりぐらいまで到達したあたりで、私は思わず時計を確認し、シークバーを表示してしまいました。

「まだ尺が30分近くある……!?」

ポンポさんの映画は90分というのは事前の情報でわかっていました。その時点で、「スタッフやるな……、これは神作品確定来たわ」とか思ってたのですが、途中で気付きました。

これ、原作だけだと尺足りてない??

そして、本編ではアラン君がついにジーンとエンカウント。そこからオリジナルの展開が始まります。

このオリジナルシーンは正直、上のツイートにもあるように最初見た時にあんまり好印象ではありませんでした。

というのも、私の中では「映画大好きポンポさん」はジーンくんとポンポさんの物語だと思っています。スピンオフのフランちゃんやカーナちゃんにはジーンくんが出てこないことからも、ポンポさんのメイン軸はジーンくんであり、彼の映画に対する狂気とポンポさんに向ける想いが重要だという認識です。

そこに、映画オリジナルのアラン君という要素が加わったことでそれがぶれてしまったような気がしたのです。

後、映画の中では良いものを作るためにそれ以外を切り捨てる、カットするというのが原作以上に強調されていました。オリジナルシーンなんかその話ですしね。

映画ではマイスターの総撮影時間(追加撮影前)は72時間だとジーンくんが言っており、「そんな多かったか!?」と思いましたが、案の定原作では撮影時間は17時間で、映画中では撮影時間を増やすことで切り落とされるものを増やしていることからもわかります。更に、雨の中でヤギ小屋を直すシーンの撮影は原作でもありましたが、そこに「みんなでアイデアを出し合って撮影した」という要素を加えることで、編集の時にそのシーンを削る葛藤を生み出していました。

それ自体は悪くないのですが、試写の時点では「不必要なものをそぎ落とすって話にしてるのにアニオリで話を付け加えてるのは言ってることとやってることが真逆じゃない?」と思ったのです。

劇中ではマイスターを90分に納めるために多くのシーンが削られた。でも、この映画自体は尺を90分にするためにシーンが加えられている。それがオリジナル展開が気に入らなかった一番の原因でもあります。

 

他に関しては文句はなかった。映画の演出に関しては自分は無知なのですが明らかに特徴的な演出?カット?がちらほらあり、愛くるしくどこまでも動き回る作画、素晴らしいサウンドと絶妙なタイミングで流れる挿入歌、声優初挑戦とは思えないメイン陣の演技、どれも素晴らしかったです。

だからこそ、私はオリジナル展開がどうしても気に入らなかった。

 

そんな気持ちで迎えた公開日の翌日。土曜日に見に行った私は、あれ?と思わず思ってしまいました。

二回目で解像度が上がったからか、それとも劇場の大きなスクリーンの迫力に圧倒されたのか。

試写で見た時の不快感は感じませんでした。むしろ、終盤追加で撮影されたマイスターのオーケストラのシーンで思わず泣いてしまってました。

 

なにこれ最高じゃん………エンドロールはめちゃくちゃ余韻に浸っていました。

 

ただ、これは試写を見た後に原作を読み込んで映画と原作の違いを把握しておいたのも大きいかもしれません。

先ほど、「言ってることとやってることが真逆じゃない?」と思った話をしましたが、原作からもいくつかの要素や説明が削られています。

例えば、ミスティア。彼女が外食嫌いの上ナタリーと同居するまでは食事をほぼサプリメントとゼリー飲料で済ませていたことや、それを聞いたナタリーが炊事をかってでたことや、彼女が住んでいた高層マンションはペーターゼンの所有物件でただで住まわせてもらっていることや、将来は自分で自分の出る映画をプロデュースするのが夢でポンポさんに会社ののれん分けの約束までしていることなどが原作漫画では語られていますが、映画ではばっさりカットされています。

他にも、打ち入りや打ち上げを行った屋敷はペーターゼンの住まいだとか、ジーンくんが作ったマリーンズの15秒スポットを見たコルベット監督が「あれ本当にジーンくんが作ったの?」と驚く下りなど、細かい部分が削られています。尺が足りない作品ならアニメ化に当たって細かい部分が削られるのは当たり前ですが、ポンポさんの場合は尺が余っている映画です。原作の描写を全部入れたうえでオリジナルを付け加えてもよかったはずですがそうはしていません。(試写での特別配信や各インタビューを見る限り、本編を90分に納めるのにだいぶ苦心されていたようなのでこの言い方は違うかもしれませんが)

映画においては、ジーンくんというメインにフォーカスを当てるためにそれ以外の余分な要素を削っているんだなと、原作を読み返して思いました。なので、「言ってることとやってることが真逆じゃない?」→「やり方は違うけどそこまで違うということではなかったな」と思い直した結果、映画をスクリーンで見た際に素直に面白いと思えたのかもしれません。

 

あと、ですね……。これは完全に自業自得なんですが、試写で見た時はアラン君のプレゼンシーンの途中で、どうしても受け付けなくなってちょっとだけ音声ミュートにしちゃったんですよね。

だから、「夢を見る何も持たない人にチャンスを与えたい」というアラン君のセリフを聞いてなかったんですよ。これを試写の時ちゃんと聞いてたら印象違ったかもしれない。

それくらいぶっ刺さるセリフでした。アラン君許した。(何目線だよ

 

ただ、それでもやっぱりどうしても映画で許せないことが一つあります。

ジーンくんの根底には「ポンポさんに面白いと言ってもらえる映画を作りたい、ポンポさんに認められたい」というものがあるとおもいます。それは原作でも映画でも変わりません。

映画では「エンドロール中に席を立ってしまう人(ポンポさん)に、余韻でクレジット最後まで動けなくなってしまうような感動を味合わせたい」(記憶があいまいなのでニュアンスがちょっと違うかも)というような旨の発言もしていましたし、打ち入りでコルベット監督に「世間受けを狙ったらぼやけた作品になってしまうから、誰か一人、その映画を一番見てもらいたい誰かのために作ればフォーカスが絞られてぐっと良くなる」(意訳)というアドバイスをもらった時、コルベット監督の輪郭がぼやけて後ろにいるポンポさんにピントが合っていったことからもそうです。(ここの演出はマジで最高でした)

だから、原作では編集に入る際にコルベット監督のこの言葉を思い出し、映画の尺を90分にしています。

ところが!!

映画では自分の意志で90分にしたのではなく、不要と切り捨てたシーンを削っていった結果、自然と90分になっていた、という印象を受けました。

それは違うじゃん!!!!ジーンくんはポンポさんに見てもらいたいから90分にしたんだよ!!あいつはポンポさんに面白いと言われなかったから完成した映像をなかったことにしてスポンサーの注文や意向を全無視して新しく作り直して試写会をバックレるような男だぞ!!!!(2の話です)というような関係性萌え過激派オタクとしてはそのくだりだけはどうしても気に入らなかったです。

 

それ以外は本当に良かったので、みんなポンポさんを見に行きましょう!鑑賞特典の原作者書下ろし漫画はジーンくんがペーターゼンフィルムに入る前の話なので気になる人は今ならまだ間に合うぞ!!

 

あ、あとこれは本編に関係ない話なのですが。

パンフレットでの関係者のインタビューで原作みたいに皆の好きな映画三つを上げてるのが個人的に好きです!